2010年4月1日木曜日

twitterとユーザーの変化。

twitterもホームページと変わらない

twiiterについて聞かれることがあるので、ネットでは今更感満載で恥ずかしいのですが、ちょっと私の答え方をまとめておきます。
私の基本的な考え方としては、インターネットは自分の分身というキャラクターを形作るところだ、ということです。そして、ネット上の基本コミニケーション手段は、テキスト。 これはもうずっと変わらないと思います。そういう意味では、twitterもblogも、いわゆるホームページも変わりません。
twitterについて聞かれて困るのが、twitterってなに?という、漠然とした質問。
ネットに足突っ込んでる私は、別に今までと何ら変わらないと思っているので、なんて答えようかな、と迷うのですが、ネットそのものに抵抗がある人には、なんだかわからないものに映るのでしょうね。
twiiterそのものは、大した道具ではない、と思っています。
インターネットにいる人の使われ方を見ていると、必然的に生まれたものだろう、という様に考えていますので、わかろうとする必要もありませんでした。
「インターネットにいない人」が理解するには、少しインターネットの歴史を知る必要があるように思います。
長くなりますが、私なりのネットの歴史、ネットユーザーの使い方の変化とともに、twitterが生まれた経緯を書いてみます。

twitterは必然的に生まれたサービス

私がネットに片足突っ込んだのは、約10年ほど前に「魔法のiらんど」という携帯でホームページが作れるというサービスをいじりだしたときです。その5年前くらい(14歳くらい)から、同年代で個人サイトを運営する人とやりとりをしたりして、ホームページを運営することに興味を持っていましたので、その頃(1996年)とも言えます。
1996年当時のサイトというと、動画がないくらいで、結局はやっていることは変わりませんね。サイトを運営する管理人は、日記や、自作の小説、イラストや、写真など公開し、掲示板や、チャットなどを設置して、閲覧者と交流を図る。これが狭い範囲に、より親密な関係を作るためのものになったのがmixiやGREEなどのSNSです。
私が携帯でホームページを作っていたころには、携帯電話のパケット通信には、定額制というものはありませんでしたので、画像を使わず、少ない通信量で如何に雰囲気の良いサイトをつくるか(自己満足ですが)、ということに苦心していました。2004年にはdocomoもパケット定額制プランを開始し、携帯からのサイト更新に歯止めは亡くなりました。Blogが登場したのもその頃です。このころから、情報は即時性を増していくことになります。
年々通信速度が早くなり、パソコンの処理速度や容量の拡大などにより、やりとりする情報が大きくなってきました。扱う画像も大きなものになり、そこで登場したのがYoutubeなどの動画サイト。これが2006年です。2006年にはtwitterも出来ました。
このころWEB2.0などという言葉が話題に登るようになりました。
wikipediaによると、「旧来は情報の送り手と受け手が固定され送り手から受け手への一方的な流れであった状態が、送り手と受け手が流動化し誰でもがウェブを通して情報を発信でき るように変化したwebの利用状態のこと。」とあります。同時期に言われていたのが、情報共有や集合知という言葉です。
集合的知性、略して集合知なのですが、wikipediaの説明だと難しいのですが、イメージとしては、次のような感じです。
集団的知性の種類
  • 認識
    • 市場での決断
    • 政治や技術に関する未来予測
  • 共同
    • トラスト・ネットワーク
    • P2Pビジネス
    • オープンソース・ソフトウェア
  • 協調
    • 集団協調行動
    • アドホックなコミュニティ
市場の決断というと、イメージがわきやすいのではないでしょうか。
そして、ニコニコ動画が登場しました。
ニコニコ動画は次のように宣言をしています。
無機的な集合知ではなく人間のような感情を備えた集合知を目指します。
via ニコニコ宣言 ?ニコニコしたいすべてのユーザーに向けて。?
一応書いておきますが、ニコニコ動画とは、動画にユーザーがコメントを書くと、それがテロップのように流れる、というものです。ここで生じるのが、祭りのライブ感のようなものです。コンピュータの前にいながらにして、そこで起きているイベントに参加出来る。というよりも、パソコンの前こそが、会場であるというような感覚すらありました。そして自分で動画を作成する人が多く現れ、面白い動画は、ブログや某掲示版などで紹介されたくさんの人が見るようになりました。
この、「人間の感情を備えた集合知」という流れが、twitter誕生の流れの一部であったのかもしれません。
これまでも、個人の経験を公開するということは行われてきていましたが、twitterの登場により、それは加速されました。今までなら、イベントに参加した人は、イベント終了後に、イベントのレポートを個人サイトなどに書いていましたが、現在では携帯からイベントに参加しながら、何が起きているかを中継する人が珍しくありません。これは、twitterだからできたことではなく、そういったツールをユーザーが必要としており、それにtwitterが適していたに尽きると思います。
その証拠に、2004年パケット定額制をdocomoが開始してすぐサービスに申込みましたが、当時何度か一人旅をした際、携帯でその旅の様子を書き込むという、twitter的な使い方をしていました。訪れる人が少なかったので反応は薄かったのですが、これはtwitterの基本的な使われ方と同じです。twitterがなくてもtwitter的な使い方をすでにネットユーザーは始めていたのです。
このように技術の進歩とユーザーの使い方の変化によって、生まれるべくして生まれたサービスである、というのが私の考えです。
長くなったのでとりあえずこの辺で。



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