2011年9月5日月曜日

トラックバック的な

胸が詰まることがありますか?
ありますよね。
や、別に無理に食べ物押し込んだわけでなく。
こう、実際にギューッとなんか右側の肋骨の奥ぐらいが痛むというか、締め付けられるような。

さっきまでそんな感じですた。

ところで、
命名行為を否定することというのは、私がなんでもかんでもカテゴライズする世間に絶望した!!なのとは、一見似ているよう見れるのですが、実は似て非なる、もしくはまるで違うな。むしろ対極?どうなんだ。そう思うと、夢の中まで出てきそうで、おかげでぐっすり眠れそうです。本当にありがとうございました。

長くなりそうなのでこちらに書いてみました。

私がカテゴライズ嫌なのは、
なんでもかんでも分類して、かえって対象をわかりにくくしてしまってないか?お前ら安直すぎ、というその程度のことでございます。

命名行為の否定を推測しますと、その後の「差別化の方向性の間違い」から、そこにある自我が醜悪に思えるからということなのかなぁと。

比べてみると、まさに両者は対極にある気がいたします。
対象をより強めるというか、より際だたせるための、カテゴライズ否定。個体バンザイ。
泥臭さみたいな。
対して、
対象を弱め、役目に徹することの重要性みたいなもの。個の否定。とまでは言わないか。

そんなことを思ったのでした~


0 件のコメント:

コメントを投稿